医師、特に研修医期間中の修練医の中にはもう医者を続けていくことができない。自分は医者として沢山失敗しているから医者は向いていない。
そう感じている医師、研修医の方は少なくないと思います。そのような方に向けた記事です。
もちろん研修医だけではなく、研修医を終えてすぐの後期研修医=専修医の時期に医師を辞めたくなる方もいると思います。その様な方へ何か力になればと思い記事を書きました。
私自身も同様の経験があり、上から目線ではなく、その経験の過程の中で思ったことを少しでもお伝えできればと思い、記事を書きました。
医者を辞めたい時の辛さ
研修医、もとより医師は多くの困難や失敗に直面します。どんな偉い先生でも、程度は違えど必ず失敗したことがあります。
その失敗を次の世代、後輩にもさせない様に、自分が怒られた様に後輩にも叱ります(中にはただ単に機嫌が悪く怒る先生もいます)
私自身も多くの失敗を経験しましたし、大きな医療事故はなかったもののヒヤリ・ハット、アクシデントは多く経験しました。その中には自分が原因で患者様に不利益になりかけたこともあり、落ち込んだことも相当あります。
何かを失敗し上級医の先生から厳しく叱られたり、怒られたりすると、ただでさえ責任感のある先生であれば、その辛さが身に染みてきて自責の念に押しつぶされます。その様な精神状態の中で次の激務に追われることになります。
気になることや辛いことがある中での大量の激務をこなすことができる、メンタル最強ドクターもいますが、全員が全員そうではないです。
必要以上に自責の念を感じ、前に進めなくなったり、やめたくなったりする時もあると思います。
医者を辞めたいと思った私自身の経験
色々な失敗をしてきた私自身の経験についてお話しさせていただきます。
私が研修医中特に怖い外科の先生がいました。今思えばその時の経験が非常に役に立っていますが、当時はそれどころではありません。
朝のカンファレンスでは
「何言ってんのかわからねーよ、バカか」
「そんな知識で給料やれねー」
「使えねー」
「やれよ、できるんだろ、やってみろよ(因みにまだ未熟で出来ないです)」
この様な指導は日常茶飯事でした。
特に失敗した時には怒られる以上に患者さんに不利益があるのではないかと思い、自責の念に堪えれず研修医、医者を辞めようと思ったことが何度もあります。
オペの時には、
「向いてない」
「下手くそ」
「やめた方が良い」
今の時代には考えられませんが、パンチやキックもありました。今だとパワハラと言うのでしょうか。
その当時は「お前にパワハラはない」と言われていたので、「はい」としか言えませんでしたが、今だと少し問題になるのかもしれません。
ただ、その時の自分は自分の努力不足、勉強不足と思い、逆に言われた分勉強をしました。しかしそこまで言われると流石に自分は何も出来ない医者だと思い何度も辞めようかと思いました。
要は、できないのは「自分のせい」=「自責の念」と捉えるようにしており、努力でカバーする様に努めた訳です。
もちろん「上級医のせい」=「他責の念」とするのは簡単なことなのですが、最初にそう捉えることはあまり自分にとってプラスにならないと考えていました。
ただ、厳しく激しい研修医期間でしたが、今ではその時に経験したこと、上級医の先生空の指導の言葉が耳にこびりつき、プラスに働いています。
例えばオペ中に「ここでどうするべきか」とふと悩む様なトラブルシューティングの際に当時の怒鳴り声がフラッシュバックするわけです。
「ここはこうしろって言ってんだろが」というフラッシュバックが「あ、そうだった!」と思いオペを順調にすすめることが出来ています。
医師はあくまで患者さんがいるからこそ成り立つ職業です。そして患者さんにその時点でbestな治療法を提供するのが我々医師の努めです。
その努めこそが"目的"であり、目的の"過程"である怒られたり、叱られてありすることは大きな目的を考えればちっぽけなものなんです。
医者を辞めたくなった時に見て欲しい言葉
自分を責めすぎない
自分自身を批判しない様にすること。なぜなら自分を批判する人は既に多くいる。
この様な内容を過去に言っていた方がいます。
これは自責の念をなるべく減らすという事も含まれていますが、それ以上に、自分の自責の念の比重を重くし過ぎないようにコントロールすると言う意味合いも兼ねています。非常に辛く、自分を責めすぎかけた時にはこの様に考えてみて下さい。
つらいことを乗り越えた医師こそ人間としての深みが増える
涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない
この言葉は、
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の第2巻の第13章に出てくる言葉です。
老人の歌う「悲痛な嘆きの歌」の詩句です。
原文には「人生の味はわからない」という文はないそうなのですが、「人生の味はわからない」というのは、英訳から来ているようです。
If you’ve never eaten while crying you don’t know what life tastes like.
少しキリスト教の概念に基づいた神の御心の意味合いを示しているという説もあり、宗教色がある様な内容ですが僕はこの様に解釈しています。
涙とともに研修医を過ごしたものであれば、なおさら医者の本質の意味を良く理解できる様になる。
研修医の時、専修医の時に挫折を味わいもう医者なんてやめてしまいたい、と思った先生ほど深い懐のある知識的にも人間味のある医者になるのではないか、と思っています。
医者を辞めたい時の対処法
医者や研修医を辞めたくなった時、まずは仕事環境を見直して、原因が何かをよく考えるようにしてください。辞めたくなる原因が上司や上級医の指導が非常に厳しい場合にはまずは客観的に自分の'目的'を考えましょう。
その目的が自分の手術スキルを上達させる事、知識を増やす事であれば、上司に言われたことがその目的にそうものであれば「自責の念」として自身のスキル上昇を目指して努力することが重要です。
その際のポイントとしては以下です。
- 自分を責めすぎない
- 上司のせいにしない
- 失敗した時のこと(注意を受けた内容)をノートにまとめる
- 本当に無理な状況に陥った時(抑鬱状態に陥りそうな時)には、必ず上司に相談する。
- その上司が相談できる相手ではなければ別の上司に相談する
それでも状況が改善できなければ、職場を変えることも選択肢の一つとして考えてみては如何でしょうか。
まとめ:皆医者を辞めたくなる時はある
医者は誰しもが必ずしもスムーズな道を歩んできた訳ではありません。色々な失敗や、時には恥ずかしい思いをする。そうした経験を積み重ねて、医師として人間として、成長してゆくものだと思っています。
もう一度ポイントをおさらいします。
- 自分を責めすぎない
- 上司のせいにしない
- 失敗した時のこと(注意を受けた内容)をノートにまとめる
- 本当に無理な状況に陥った時(抑鬱状態に陥りそうな時)には、必ず上司に相談する。
- その上司が相談できる相手ではなければ別の上司に相談する
それでも状況が改善できなければ、「他責の念」=「病院のせい」にして職場を変えましょう。
少しでもみなさんの気が楽になれば幸いです。